ダイエット目的で走りだしたはずだったのに、気がつくとサブ3ランナーとしてガチのマラソンマンに変身!
メインはランニング&マラソンですが、時々「クールな嫁と明るい娘」に話が脱線(笑)
家族とマラソン、そして、酒とガンダムをこよなく愛する、男の日々をどうぞ!
プロフィール
HN:
RX-93
HP:
性別:
男性
自己紹介:
1972年生まれのアラフォー。
38歳の時、人間ドックでメタボを起因とする重度の高脂血症により死の宣告を受ける。
それでも大好きな酒がやめられず、飲みながらでも痩せらるよう、必死のダイエットに励みなんとか20kgの減量に成功。
その一環で始めたランニングは、既に趣味の域を脱し、遂にはフルマラソン出場まで果たす事に・・・。
(詳しくは、ホームページもご覧下さい)
フルマラソン
ベスト 2時間48分43秒
(2015年4月 長野)
ハーフマラソン
ベスト 1時間22分01秒
(2012年11月 諏訪湖)
100kmウルトラ
ベスト 9時間28分20秒
(2014年5月 野辺山)
38歳の時、人間ドックでメタボを起因とする重度の高脂血症により死の宣告を受ける。
それでも大好きな酒がやめられず、飲みながらでも痩せらるよう、必死のダイエットに励みなんとか20kgの減量に成功。
その一環で始めたランニングは、既に趣味の域を脱し、遂にはフルマラソン出場まで果たす事に・・・。
(詳しくは、ホームページもご覧下さい)
フルマラソン
ベスト 2時間48分43秒
(2015年4月 長野)
ハーフマラソン
ベスト 1時間22分01秒
(2012年11月 諏訪湖)
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うららかな、春の光が降ってくる♪
31年前に私が小学校の卒業式で歌った曲のワンフレーズです。
あれから、中学、高校、大学と進み、社会人となり、結婚し、子供が生まれました。
娘はすくすくと成長し、
2010年の春には
小学校に入学。
体の3分の1もありそうなランドセルを得意げに背負い、ちょっぴりお姉ちゃんになった感じで、はにかんでいました。
月日は流れ
いろいろなことがありました。
楽しかったこと
うれしかったこと
でも、不思議と辛いことや悲しい事の思い出が残っていないのは、無かったからではなく、きっといい思い出が多かったからなのだろうと思っています。
・・・・・・・
そして、
2016年3月17日
我が家の思い出のアルバムに、新たな1ページが加わりました。
娘と私です。
・・・・・・・・・・
卒業アルバムの 最初の春のページ♪
無邪気に笑う私がいる♪
これは、ドリカムの「笑顔の行方」のワンフレーズですが、
娘が持ち帰った卒業アルバムの最初のページを見ると、1年生の思い出の写真がありました。
そこには、写ってる子みんなが、無邪気な笑顔を見せていました。
そして、今日この良き日に集った、6年1組の娘のクラスメイト
みんなが、とびっきりの笑顔でした!
Congratulations on your graduation!

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さて、2016年の能登和倉偏については、今回の「アフターラン編」でお終いです。
前回記事の通り、地獄の腹痛により、1日延期しての掲載ですが、よろしければおつきあいください。
・・・・・・・・・・
と、いうわけでレースも無事ゴールしたその後。
着替えの為に体育館に入ると、スタート時にご一緒し、見事今回もサブスリーを達成したMさんと合流することができました。
Mさんとは、お互いの健闘を称え、この後はイベント会場へご一緒させて頂ければ・・・と、思ったんですが、なんとMさん、
この後、夜勤があるから仮眠の為に帰ります
とのこと。
Σ(゚Д゚;エーッ!
フルマラソンのあとに、そのまま夜勤!?
このスタミナには、正直びっくりして腰が抜けそうになりましたw(ちなみに帰るのだって、石川県の能登和倉から富山まで帰るそうですから、それだけでも正直大変なのに・・・)
・・・・・・
そんなわけで、
ことしも、やっぱり「ぼっち」でイベント会場へ行く事となりました。
でも今年は、
自転車があるので、機動力が格段にアップ!
すいすいと、イベント会場に向かいました。
が、
途中で「足湯」を発見!
したので、
入ってみた。
すんごい気持ちよくて、疲れた脚がジンジンしびれてきて、「血行が良くなってきたぞ」って感じがします。
小窓からは、海が一望できるロケーションで、本当に最高の足湯でした。
さて、足湯を堪能したらお待ちかねの牡蠣!
炭火でじっくり焼いて、ぷりぷりで濃厚な味を堪能しましょう。
焼けるまで少しありますから、その間に
牡蠣鍋を頂き、体を温めましょう。
うん、(゚д゚)ウマー
さて、そろそろ牡蠣は焼けたかな?
美味しく焼けました~
(´~`)モグモグ
(゚д゚)ウマー
・・・・・・・でも、ほんとによく焼けてたのかな?
2日後に襲われた猛烈な腹痛は、私のいやしい性格ゆえに、実はよく焼けてない状態で食べたせいかもしれませんww
さて、
牡蠣尽くしを頂き、コンビニで買ったおむすびも食べ、後は帰るだけ・・・
なんですが、
できれば、新鮮な海産物を焼きながら
そんでもって、
酒のみてぇ~なぁ~(←もう、病気ですw)
・・・・・・
よし!
そろそろ帰ろう!
なーに、
片道たったの305kmじゃん!
一般道併用なので、
時間は4時間半程度じゃないか~
と、フルマラソン後のテンパった頭に喝を入れ、車に乗り込みます。
車中では、眠気防止のためにカーステのボリュームをガンガン上げて、間もなく44歳を迎える中年オヤジが、
水樹奈々を大熱唱!(←ヤバすぎるくらいイタイW)
(当然『禁断のレジスタンス』は、ボリュームmax!だよ)
と、イタイ話は置いといてw・・・・・・・・
(一路、長野県の自宅へ)
車中では、
窓から見える海を見ながら、
来年もこの海を見に来よう・・・
そう思いながら能登路を後にするのでした。
で、
石川県から富山県に入り、北陸自動車道に乗ると、
見慣れた山の景色に・・・
ん!?
あれって、立山連峰じゃないのかな~?(←実はよくわかってないw)
たぶん、あの山の向こうが白馬や大町のはずだから、
富山からなんて
山を突っ切れば、長野県はすぐそこじゃねーか!
と、訳の分からない怒りを胸に、わざわざ新潟を迂回しないと帰れない「山国、信州」に住んでいることを呪うのでしたwww
更に進むこと・・・・
高速のSAに立ち寄り、嫁にTEL
(私)お土産買うの忘れて、高速に乗っちゃった
今と富山県内のSAだけど、お土産は
①富山ブラックラーメン ②かまぼこ ③おせんべい ④甘いもの
どれがいい?
(嫁)うーん、かまぼこかおせんべいがいい
ってことで、
かまぼことおせんべい両方にしました。(←ま、安かったので)
そんなこんなで、無事自宅に戻り、シャワーを浴びたりして、一息ついた後、夕食を取りながら、家族にこの日の結果報告をします。
(私)それでね、こんなことがあってね・・・
・・・・って、
誰も聞いてねぇ~!(笑)
嫁と娘はお土産を (´~`)モグモグ しながら
(嫁)のどぐろのおせんべい、なんだか「エビせん」みたい
(娘)うん、ほんとだね~
(私)・・・・・
そんなわけで、
今日も我が家は、平穏無事でしたとさ。

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今日は、能登和倉万葉の里マラソンのアフターラン編をお送りする予定で、鋭意執筆中でした。
・・・が、
朝から、腹痛が酷く、仕事中に病院へ。
検査の結果、細菌性胃腸炎とのことでした。
作者急病につき、休刊といたします。
急患で、休刊・・・・
上手いっ!ww
って思ったら、サブスリーアイコンを押していってください<(_ _)>

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本日は、昨日の「前日編」に引き続き、2016年3月13日(日)開催の「能登和倉万葉の里マラソン」本編を送りいたします。
めっちゃ長い文章だということは、聡明な読者さんにとっては周知のことw
さあ、息を整えていってみましょう!
・・・・・・・
3月13日(日) AM5時半
こんな、車のラゲッジルームで、車中泊したというのに
9時間、ばっちり熟睡できた!
ああ、よかった・・・
『頭が弱いことで、助かることもあるんだw』
これがわかっただけでも、今回の旅は、大きな収穫でしたww
・・・・・・・
さて、コンビニで朝食を済ませ、指定の駐車場に車を止め、持ち込んだ自転車でいざ会場入りです!
駐車場から会場までは1.5km程。
自転車ですので、5分ほどで到着しました。
曇天、ほぼ無風、気温10度未満
気象条件は、これ以上ない最高のコンディションです。
さくっと参加賞を引換え、着替えのために控室の体育館に向かうと、
場所取り合戦は既に終了・・・orz
仕方がないので唯一スペースの残っていたドアの陰の隅っこで、捨て猫のようにひっそりと時がたつのを待っているのでしたw
・・・・・・・
さて、スタートまであと30分。
そろそろスターティングブロックに向かいます。
ここは申告タイム順にスタートのブロック分けがされており、私は陸連登録選手の次のブロック。
つまり、一般ランナーでは最先頭のBブロックに並びました。
・・・・・・・・
さてここで、今回の大会参加にあたっての、目標・目的を整理しましょう。
まず、今回の目的はなんといっても「怪我の回復状態を確認する事」。
これにつきます。
ちなみに昨年末に怪我をしたのは、①右足の鵞足炎、②左足アキレス腱付着部の炎症、③左足大転子部滑液胞炎、④左でん部の坐骨神経痛
以上4点です。
1月は、ランオフを主体に怪我の治癒を図り、2月はジョグを中心に怪我の回復を図りました。
その為、2月のレースはDNS(棄権)、しかしそのおかげで怪我の方は、しっかり快方に向かっていきました。
ちなみに現在の状況は、①は完治、②、③は、9割がた完治しました。しかし、④坐骨神経痛は未だに完治とはいかず、15~20km以上の距離を走ると、臀部の痛みとしびれで走れなくなってしまいます。
更に、左足は、なぜか追加で内くるぶし下に謎の痛みも発症し、走りにどの程度影響があるのかは未知数の状態です。
なので、
「42km走り切れるのか?」
この確認が、最大の目的というわけです。
次に、目標は
「最後まで諦めずに走り切ること」
これを掲げました。
明らかな練習不足で、タイムアタックには程遠い状況なので、タイム云々は二の次。
かわりに、気持ちが折れることなく最後までしっかり走ることを目標に設定しました。
なぜなら、昨年の5月以降、納得がいくレースはほとんどなく、途中でレースを諦めて歩いてしまったことも数多くあったからです。
なので今回は「復帰1戦目」のつもりで、最後まで諦めない走りをしたいと考えておりました。
・・・・・・・・
さてそんな思いを胸に、スターティングブロックに並ぶ私。
スタートの時をまっていると、
「RXさん!」(←ここはもちろん本名でしたがw)
と、声をかけてくれた主は、富山が生んだ、サブスリーランナーのMさん。
もちろん、ブログにもコメントを入れてくれている方です。
で、Mさんとはスタートまでの間、いろいろとお話をさせて頂きました。
お互いの怪我の状況、今日のレースの意気込み、そして、その他もろもろ・・・
おかげで、本当にリラックスしてレースに臨むことが出来ました。
・・・・・・・・
さて、いよいよスタート時刻が間もなくとなりました。
スターターが「オン・ユア・マーク」と発声したおよそ5秒後。
「バン!」
号砲とともに一斉にスタート、Mさんとはここで別れて、自分のペースでレースを組み立てて行く事となりました。
・オープニングラップ
ここは、とにかく慎重に入りました。
いつもなら全力で駆けだすのですが、今回はとにかくスタミナに不安があるので「オープニングラップは絶対に抑えていこう」、そう決めていました。
「息を整え、リズムを作ることに専念」、このことに重点を置いたおかげで最初のラップは4分29秒で通過。予定通りのスローな展開が出来ましたので、いよいよここから徐々にペースを上げ、今できる最大限のペースで、更にレースを組み立てていくことになりました。
さて、ここでコースの高低図を確認しましょう。
中盤までは、アップダウンの連続になかなか息をつく間もありません。
テクニカルなコースなので、序盤に脚を使い切ると中盤でギブアップしてしまいます。
かくいう、一昨年の失敗に終わったレースでは10kmまでで脚を使い過ぎ、21kmでは完全に気持ちが折れてしまいました。
今年は同じ轍を踏まぬよう、兎に角クレパーにレースを運ぶことに注力しました。
なので、
「タイム云々ではなく、体の声に耳を澄まそう」
この一心で、走り続けました。
ちなみに「体の声を聞く」というのは、「主観的に無酸素性代謝閾値を超えていないか、心肺機能の発する声に耳を澄ませる」ということです。つまり、有酸素領域のギリギリを見極め、今できる最大限のレースメイクに必要な情報に傾聴しながら走るという事でした。
そういう意識の中で走っていますから、常に
「心肺機能は大丈夫」
「足の痛みは大丈夫」
「坐骨神経痛は、まだ序盤なので大丈夫」
そんな確認をしながら、10kmを通過していきました。
さて、10kmを通過した時、手元の時計でタイムを確認すると40分台後半で通過しておりました。つまり、序盤はキロ4分5秒平均ぐらいでレース展開ができていたということなので、タイム的には申し分なし。むしろちょっと上出来くらいの感じさえしておりました。
ちなみに当然、「体の声を聴きながら」走っていましたので、ここまでは全く苦しくも無く、順調なレース運びとなりました。
序盤はとりあえず合格点。
そんな感じでのレース展開となりました。
・・・・・・・
序盤は順調だったものの、中盤に向かう頃には、アップダウンの激しいコース故に、徐々に走りが苦しくなってきました。
しかし、
「沿道からは、絶え間ない声援」
があり、気持ちの面で大きな支えを得ることが出来ました。
だからこそ、
「沿道の声には、感謝の気持ちをもち、笑顔で走る」
そして、
「美しい海岸線の景色も存分に楽しむ」
そう、これが
「自分にとってのレースであり、ファンランの要素でもあるのだから」
そう考えながら走っていきました。
・・・・・・・・
ハーフを通過すると、手元の時計で1時間26分30秒程。
サブスリーを考えると、時計的には微妙な状況ですが、結果は特に重要視していません。むしろここまでのレース展開がうまくいっていることに大満足できました。
「中間地点までは100点満点」
これが率直な感想でした。
・・・・・・・・・・・・
「後半戦に向けて」
そうここからが私にとっての「本当のレース」でした。
なぜなら、練習中に決まって発症する坐骨神経痛の症状は、ハーフを過ぎて牙を剥きました。
激しい痛み、そして、しびれ。
今日も同じ症状に見舞われたら、そしてまともに走れなくなった時には、残りの距離を「どう自分の中で意味あるものにするのか?」それを模索しなければならないでしょう。
ちなみに今日のレースは、「怪我の回復確認」はもちろんですが、来月の「長野マラソン」参加の可否を決めるセンター試験のような位置づけでもありました。
ここで判断される材料は、もちろんタイムなどではなく、レース中における精神的なものや身体的なものが判断材料で、当然自身で考える合格ラインに到達せず、「足切り」に引っかかれば、長野マラソンの参加は見送る決意がありました。
だからこそ、先ずは30km、そして、その先にあるゴールをどう迎えるのかが、ここからの最大の関心事に切り替わっていくのでした。
・・・・・・・・
25km通過
やはり、坐骨神経の痛みの出る付近がムズムズし始め、いつ大きな痛みになって表れても不思議が無い状況になってきました。
なので、ペースも徐々に落ち始め、身体的にも余裕がない状態になり始めてきました。
そんな中走り続けていると、背後から
「足はどうですか?」
と、Mさんの声。
率直に「ちょっとやばそうです」と返すと、Mさんは「あまり無理しないでください」と言い残して、先に進んでいきました。
一方の私は、「自分のペース、自分との闘い」なので、特に追いかけることもなく(そもそもそんな余裕がないので)先ずは30km地点を目指して、黙々と前に進んで行くことを目指しました。
・・・・・・・・・
30km地点
2時間05分30秒ほどでこの地点を通過。
昨年に比べると6分以上遅れての通過ですが、まだ痛みが発症せずに走れていることに、とりあえず安どの気持ちが浮かびました。
その反面、この頃から「ズシッ!」っと体が鉛のような重さに感じられるようになり、いよいよ自分との戦いも終盤戦に来たことを感じずにはいられませんでした。
終盤の敵は「疲労」だけではありませんでした。ここは海岸線を走るコースの為、海風が強く、向かい風が続くので、思ったように体は前に進みません。
そんな中、唯一の心の支えは、32.195kmを通過し、「アト10km」の標識を超えたところで手元の時計が2時間15分程を指示していたという事。
つまり、ラスト10kmを45分以内で走れれば、サブ3が見えてくると言う状況でした。
・・・・・・・・
35km通過
ここで、遂に体は完全に鉛と同化しました。
自分とは思えないくらいに体が重く感じられ、足の筋力も完全に低下。やはり年初からの走り込みが圧倒的に不足していたので、もはやジョグペースまでペースを落としても、走るには苦しい状況が続きました。
そして遂に
「止まりたい、歩きたい」
という言葉が脳内に分泌され、いよいよ自分との戦いも最終決戦へと向かっていきました。
そこで思い返すのは、
「目標は、タイムじゃなくで最後まできっちり完走することじゃなかった?」
っていうこと。
それを思い出すと、タイムを度外視していたおかげで、今のサブスリーを取り逃がしそうな状況にも特にめげる必要が無く、又、目標を見失うことが無かったので、気持ちの面では、本当に唯一の救いとなりました。
しかし疲労は刻一刻と色濃くなり、
アト タッタノ7kmダ・・・
アト 6キロダ・・・
と意識が朦朧とし、気持ちををつなぎとめることも困難になったころ、急に目が覚めるほどの激痛が脳幹に突き刺さりました。
「イ・・・イタタタタ!」
なんと右のふくらはぎが攣り、激痛からあわてて歩道でストレッチを行いました。
なんとか痛みはすぐにおさまったので、再び走り出すと今度は坐骨神経にも軽い痛みが出たので、もう一度右のふくらはぎのストレッチと左の臀部をストレッチして、ゴールまで走り切れる状態を作り出しました。
ちなみに、この時点で残す距離はわずか4km程。
ここまでくればなんてことのない距離のはずですが、既に爆発した爆弾を再度爆破させないように慎重に、でも、最後まで手を抜かずに、今できる全力で走っていきました。
41km通過・・・
ラスト1km・・・
すると背後から「ラストです!頑張りましょう!」という大きな声援と共に、ものすごいスピードで駆け抜けていったランナーが一人おりました。
ここで大きな元気をもらったので、私も力を振り絞って加速してみると、
「痛ってぇ~!」
と、右足が再び攣り、あわててストレッチでごまかしました。
ここまで来ると、ストレッチ程度では大した効果はありませんでしたが、残す距離はあとわずかですので、「ビクン、ビクン」と痙攣し続ける右足をごまかしながらゴールに向かって突き進んでいきました。
すると沿道からは「あと400mだよ!」の声。
そして、カーブを抜けると目の前にはゴールライン。
ゴール地点の放送では、
「長野県からお越しの、RXさん、間もなくゴールです!」
との声。
本当に力を振り絞り、万感を胸に、ようやくゴールしました。
・・・・・・・・
では、このレースの自己採点です。
先ずは、「42kmを走り切ること」については、足が攣ったりして、3度も脚が止まったものの、終盤にきての出来事であり、すぐにリカバリーできたので、ギリギリ「可」といった状況でした。
次に、「最後まで気持ちが折れずに走り切ること」については、80点の合格点を出したいと思います。このところ、すぐにレースを諦めてしまう傾向が強かったのですが、今回は久しぶりに頑張れたと自分では思っています。「まだまだ甘い」と指摘を受けそうですが、ゴールした瞬間に満ち足りた気持ちがしたことは、久しぶりの体験だったので、「今回は本当に、満足が行く結果だった」と胸を張って言えそうです。
と、いうわけで、
本当に、久しぶりに充足した気持ちになれたレースとなりました。
心の底から
「やったぞ!」
と満足ができました。
「なんとか走り切れたぞ!」
再び自信を取り戻せそうです。
そして、この瞬間から
「本当の意味で復帰のスタートラインに立てた」
という気持ちになれました。
そう、
今日、この日から、復帰後の「リ・スタート」です。
というわけで、
今日の結果により、なんとか来月の長野マラソンへの出場については、足切りラインのすれすれかもしれませんが、1次試験をパスできました。
来月も、結果よりレース中のプロセスを大事にしたいと思います。
今回のレース、
本当にきつかったけど、楽しかった。
相棒、「匠SEN boost」と共に闘った、長くて熱い42.195kmの旅でした。
いっぱい、いっぱい、心の葛藤があったけど、
その分、いっぱい、いっぱい考えながら走りました。
記録は3時間02分00秒。
全てを出し切った結果でした。
数字だけ見れば「あとちょっとでサブ3だったのに」と言えなくもないのですが、今回はサブスリーに届かなかった「2分」という時間は、自分にとってあまり意味のない数字だと思っています。
むしろ残った課題はラストの10km。
スタミナの面で足りなかった走り込みは、これから再び開始します。
そして、怪我の完治にも全力を尽くします。
新たなスタートラインに立った今、
これからもう一度、後半まで粘れる足腰を、一つづつ作り直していきたいと思います。
・・・・・・・
改めて・・・
今回最後まで頑張れた最大の要因は何か考えてみると、
「温かい声援」
これにつきました。
「がんばれ! がんばれ!」
と、レース中は地元の声援が途切れることなく続きました。
よく、「頑張ってる人に、頑張れって言うのは逆効果だよ」なんていう人がいるけど、マラソンに関してはこれほど奮起できる言葉はないと、私自身は思っています。
だって、
こんなにきついスポーツは、周りから「がんばれ!」の声でも無ければ、簡単に諦めちゃいますもんね。
だから、周りから「がんばれ!がんばれ!」って言われるたびに、自分自身にも「そうだ、がんばれ!がんばれ!」って反芻します。
そうすることで
「よし! もうちょっとがんばろう!」
ってことに繋がるんですよね。
だから、改めて全ての「がんばれ!」の声に感謝致します。
最後に・・・
レース後に富山のMさんと再開すると、Mさんは見事サブスリーを達成したそうです。
本当におめでとうございます。
「不断の努力」
の、結果と思いますので、私もMさんの努力を見習いたいと思います。

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足の故障が完治せず、ロクに走りこみができなかった2016年シーズン。
1月は、ほとんどレストで、2月はハーフのレースすらDNS(棄権)。
3月に入っても調子は上がらず、先週の土日も坐骨神経痛が発症し、21kmを走るのが精一杯でした。
なので、今回のレースも回避するのがセオリー。
なのですが・・・、
今回は、来月に迫った「長野マラソン」に向けての「直前模試」の感覚で、「納得いく走りができれば出場する」し、「ダメなら出ない」という2択のどちらかなのかを決定するために、自宅から300km以上離れた能登半島まで行ってきました。
・・・・・・・
今回は、
「記録より、記憶に残る大会」
だったので、超長文記事決定!(←迷惑な話なんて言わないでねw)
ですが、
今日は、大会直後で疲れたので、前日までをお送りします。
・・・・・
3月12日(土)
長野県内の自宅から大会のある能登和倉までは300km以上あるので、前泊必須。
その為、
今年も車のラゲッジルームにカプセルホテルを設営しました(笑)
しかも、今回は駐車場から大会会場まで「1.5km」もあるとのことなので、自転車まで積み込みましたw
折り畳み式なので、折り畳んだ自転車を積みましたが、ハンドルが布団の上に来るので、寝るときに自転車が布団を圧迫しないように「ラゲッジルーム・バー」で自転車を釣り上げてみました。
おかげで・・・、
自転車と一緒に眠れますwww
・・・・・・
3月12日(土) PM1時
自宅を出発(^O^)/
自宅から10分ほどで高速に乗り、一路北陸へ!
長野県と新潟県の県境の豪雪地帯に入りますが・・・
雪がない~
改めて今年は、暖冬で、雪が少なかったんですね~
例年なら、この道路わきは雪が堆積していて、軽い「雪の壁」ができてるはずなんですけどね~
今年は暖かくて快適です!
・・・・・・
で、
あっという間に、石川県!(←この辺が、ブログならではww)
で、
小腹が減ったので、地元のスーパーへ
で、
地元のおにぎりをゲット(^O^)/
・・・・・・
で、
おにぎりをもぐもぐしながら、
明日のコースを少し流します。
海を渡り、能登島へ向かうこのコースは、やっぱり最高です!
海なし県に住む私にとっては、やはりこのコースは最高です。(←アップダウンはきついけどねw)
・・・・・・・・
さて、下見もしましたので、夕飯にしましょう。
で、
今回も4年連続で、いつもの飲食店へ行きます。
そうそう、ここ
「海のごちそう」さんです。
今年も、美味しいご飯をよろしく~(^O^)/
・・・・っておもったら、
キャ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
ブログで紹介しすぎたせいか、予約でいっぱいになってしましました(←それは、思い込みですw)
・・・・・
( ´゚д゚`)アチャー
どうしよう?
まさか、コンビニ弁当なんてさみしい~
ので、
スマホで、周辺検索!
「近くの和食屋は?」
グーグルさんに話しかけますww
ちなみに、「なぜ和食屋なのか?」っていうと、
当然「魚」がたべたいから!
山岳地帯からやってきたのに、海に来て魚を食べないなんて、
ありえなーい!
ってことで、
来ました(^O^)/
「和食」で検索して、出てきた店ですから、「魚料理」ぐらいあるでしょう。
・・・・で、
こんばんわー!
・・・・・・
入店し、お品書きを見て、
「魚定食ください~!」
というと、
何の魚がいい?
と聞かれ、
「何がありますか?」
と聞くと、
「お任せでよければ」
っていうので、千円のお任せ定食へ!
で、
お魚の煮つけに、刺身がメインのお任せ定食。
おかみさんが、
「お皿がうまく乗り切らなかったから、小鉢は外に出してね」
っていうくらい、ボリューム満点!
しかも、美味しかった~
やっぱり地元の定食屋さんは美味しかったです。
さあ、これで後は寝るだけ。
明日に向けて英気を養うぞ~
(^o^)ノ < おやすみーなさーい
ちなみに、現在の時刻は
PM 8時ですwwww
明日の起床は、6時予定!
10時間睡眠で、力を蓄えます。
本番のレースはどうなったかな???
・・・・・・
続きは、次回です!

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