ダイエット目的で走りだしたはずだったのに、気がつくとサブ3ランナーとしてガチのマラソンマンに変身!
メインはランニング&マラソンですが、時々「クールな嫁と明るい娘」に話が脱線(笑)
家族とマラソン、そして、酒とガンダムをこよなく愛する、男の日々をどうぞ!
プロフィール
HN:
RX-93
HP:
性別:
男性
自己紹介:
1972年生まれのアラフォー。
38歳の時、人間ドックでメタボを起因とする重度の高脂血症により死の宣告を受ける。
それでも大好きな酒がやめられず、飲みながらでも痩せらるよう、必死のダイエットに励みなんとか20kgの減量に成功。
その一環で始めたランニングは、既に趣味の域を脱し、遂にはフルマラソン出場まで果たす事に・・・。
(詳しくは、ホームページもご覧下さい)
フルマラソン
ベスト 2時間48分43秒
(2015年4月 長野)
ハーフマラソン
ベスト 1時間22分01秒
(2012年11月 諏訪湖)
100kmウルトラ
ベスト 9時間28分20秒
(2014年5月 野辺山)
38歳の時、人間ドックでメタボを起因とする重度の高脂血症により死の宣告を受ける。
それでも大好きな酒がやめられず、飲みながらでも痩せらるよう、必死のダイエットに励みなんとか20kgの減量に成功。
その一環で始めたランニングは、既に趣味の域を脱し、遂にはフルマラソン出場まで果たす事に・・・。
(詳しくは、ホームページもご覧下さい)
フルマラソン
ベスト 2時間48分43秒
(2015年4月 長野)
ハーフマラソン
ベスト 1時間22分01秒
(2012年11月 諏訪湖)
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さて、本日のお話は自分でも手が付けられないほど
妄想が暴走してます(笑)
頭で考えたことというより、感じたままを書き綴っちゃいましたので、一読すると
きっと頭の中にもやが掛かります(笑)
予めご了承ください・・・<(_ _)>
さて、
これはアシックスのキャッチコピーで、近くのスポーツ店にドカンと掲げてある名文です。
真意は語られてませんが、自分なりに解釈すれば、
「マラソンは、トレーニングや健康管理など、日ごろの日常からすでにスタートしているのであって、決してスタートの号砲から始まるものではない。
又、一つのレースをゴールしたその先には、また新たな道に向かって走り続けるから、決してそこで終わるものでもない」
といったところでしょうか。
毎日走っている路上でこの看板を見ていますが、グッとくる言葉だと思っています。
かなり心酔した言い方をすれば、
「生きていることがマラソンだ」
って感じでしょうか。←ここまで考え込むと病気ですw
さあ、今日も走りながらこの看板を眺め、「マラソンとは何か」、「走り続けるとは何か」ということを考えました。←もうほんと病気だねww
そんなわけで、最近の考えも含めて、私の病気っぷりをどんどん吐露します。←もう病気だって認めちゃったwww
マジでドン引きしないでください
そう、
マジでドン引きしないでください
※大事なことなので、2度言いました(笑)
まっ、「こんなアホなこと考えてるのは、お前だけだ」と、ツッコミが入れば幸いです・・・
さて話を続けると、最近「マラソン」という競技を考えると、なぜか「諸行無常」という言葉がリンクしてきます。
どういうことかというと、マラソンは42.195kmという距離はいつも同じですが、決して一度として「同じ条件で走れる」なんてことはありません。これはどんな競技にも言えることなんでしょうが、様々な気象条件、コース状態、そして自分自身のコンディションなどを含めて、「常ならず」の状況下に合わせて走ることこそが「マラソンという競技の本質」なのだと感じています。
更にいえば、私の場合はフルマラソンなら3時間近い時間を走っているわけですから、レース中でさえも刻々と変化するコースコンディション、まさにここでも「常ならず」の状況を逐一肌で感じながら走っていくことも重要なファクターになっていると考えています。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず」
鴨長明の方丈記のくだりです。
諸行無常を表すと同時に、時の流れをも映し出しているように感じますね。
最近走りすぎて、頭がおかしくなったのか(←いや、以前から相当おかしいですがw)、最近「走る」ということと「仏教の教え」についてシンクロさせて考えることがあります。
「諸行無常」と「空(くう)」
このあたりが代表的な教えの基礎でしょうか?←最近本で勉強したw
そこで諸行無常をマラソンに結び付けたのが前述のお話しです。
では一方で「空(くう)」はというと、
色不異空 空不異色(しきふいくう くうふいしき)
般若心経の一文ですが、かなりざっくり言えば、「色(しき)」は「実体のあるもの」で「空(くう)」は「実体のないもの」。つまり「形あるものは実体がないことと変わりはないし、実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在しているんだ。だから、形あるものはそのままで実体なきものであり、実体がないことがそのまま形あるものとなっているのだ。」ってところでしょう。
・・・・・ポポポポポ( ゚д゚)゚д゚)゚д゚)゚д゚)゚д゚)ポカーン…(笑)
でも必死でマラソンで言い換えると、←できるのか、そんなことw
「マラソンというものは、形のないものであるが、しかしそこに実体はある」
うわー、禅問答みたい(笑)
つまり、スタートが始まりでもなく、ゴールが終わりでもないという流動的な流れを持つ「マラソン」というものも、「そこに42.195kmという空間というのか時間というのか、その枠の中においては、そこに確かに実在しているんだ」というイメージだと考えています。
バカですから、言葉で言い表せない部分は「イメージ」でフォロー(笑)
では、「始まりと終わり」とは・・・
私のマラソンは、どこで始まりどこで終わるのでしょうか?
マラソンを意識して走り始めたあの日から始まったのでしょうか?
否
じゃあ、中学で陸上をやったあの日から?
それとも、野山を駆け巡っていた幼少のころから?
・・・
では同様に終わりはどこで定義するのでしょうか?
競技をやめたとき?
日常で走らなくなった時?
でも、それはいつか再開するかもしれない・・・ならばそこは終わりじゃない
つまりマラソンはどこからどこまでなのかわからない空虚なものなんだけど、能登和倉で走った自己ベストのマラソンはそこにあったし、サブスリー陥落の悔し涙を飲んだ能登和倉も確かにあったということです。
ならば、いつまで・どこまで走るのかなんて考えちゃうと、あるはずのない終わりを定義しようとしているような気もするし、そんなことしても意味がないこともわかっています。
加えて、目標設定も大事だけれど、それだけを目的にすると目標が達成できなかった場合に、その存在意義が否定されちゃう。
本当はそれも含めて「マラソンはそこにある」のにね。
でも、もともと空なるものだというのに、そこに実体を定義しようとするとおかしなことになっちゃう。
なんだかわけがわかんないね(笑)
結局、「マラソンとはなにか」なんていう実体ばかりを追いかけると、「見えないものが見えてきて、見えなきゃいけないものが見えなくなっちゃう」なんてことがあるのかもしれませんね。
本日のラン 12.65km 1時間04分32秒(JOG)
ほーら、頭の中にもやと霧が掛かった(笑)
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妄想が暴走してます(笑)
頭で考えたことというより、感じたままを書き綴っちゃいましたので、一読すると
きっと頭の中にもやが掛かります(笑)
予めご了承ください・・・<(_ _)>
さて、
「マラソンはスタートが始まりではなく、又ゴールで終わるのでもない」
これはアシックスのキャッチコピーで、近くのスポーツ店にドカンと掲げてある名文です。
真意は語られてませんが、自分なりに解釈すれば、
「マラソンは、トレーニングや健康管理など、日ごろの日常からすでにスタートしているのであって、決してスタートの号砲から始まるものではない。
又、一つのレースをゴールしたその先には、また新たな道に向かって走り続けるから、決してそこで終わるものでもない」
といったところでしょうか。
毎日走っている路上でこの看板を見ていますが、グッとくる言葉だと思っています。
かなり心酔した言い方をすれば、
「生きていることがマラソンだ」
って感じでしょうか。←ここまで考え込むと病気ですw
さあ、今日も走りながらこの看板を眺め、「マラソンとは何か」、「走り続けるとは何か」ということを考えました。←もうほんと病気だねww
そんなわけで、最近の考えも含めて、私の病気っぷりをどんどん吐露します。←もう病気だって認めちゃったwww
マジでドン引きしないでください
そう、
マジでドン引きしないでください
※大事なことなので、2度言いました(笑)
まっ、「こんなアホなこと考えてるのは、お前だけだ」と、ツッコミが入れば幸いです・・・
さて話を続けると、最近「マラソン」という競技を考えると、なぜか「諸行無常」という言葉がリンクしてきます。
どういうことかというと、マラソンは42.195kmという距離はいつも同じですが、決して一度として「同じ条件で走れる」なんてことはありません。これはどんな競技にも言えることなんでしょうが、様々な気象条件、コース状態、そして自分自身のコンディションなどを含めて、「常ならず」の状況下に合わせて走ることこそが「マラソンという競技の本質」なのだと感じています。
更にいえば、私の場合はフルマラソンなら3時間近い時間を走っているわけですから、レース中でさえも刻々と変化するコースコンディション、まさにここでも「常ならず」の状況を逐一肌で感じながら走っていくことも重要なファクターになっていると考えています。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず」
鴨長明の方丈記のくだりです。
諸行無常を表すと同時に、時の流れをも映し出しているように感じますね。
最近走りすぎて、頭がおかしくなったのか(←いや、以前から相当おかしいですがw)、最近「走る」ということと「仏教の教え」についてシンクロさせて考えることがあります。
「諸行無常」と「空(くう)」
このあたりが代表的な教えの基礎でしょうか?←最近本で勉強したw
そこで諸行無常をマラソンに結び付けたのが前述のお話しです。
では一方で「空(くう)」はというと、
色不異空 空不異色(しきふいくう くうふいしき)
色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)
般若心経の一文ですが、かなりざっくり言えば、「色(しき)」は「実体のあるもの」で「空(くう)」は「実体のないもの」。つまり「形あるものは実体がないことと変わりはないし、実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在しているんだ。だから、形あるものはそのままで実体なきものであり、実体がないことがそのまま形あるものとなっているのだ。」ってところでしょう。
・・・・・ポポポポポ( ゚д゚)゚д゚)゚д゚)゚д゚)゚д゚)ポカーン…(笑)
でも必死でマラソンで言い換えると、←できるのか、そんなことw
「マラソンというものは、形のないものであるが、しかしそこに実体はある」
うわー、禅問答みたい(笑)
つまり、スタートが始まりでもなく、ゴールが終わりでもないという流動的な流れを持つ「マラソン」というものも、「そこに42.195kmという空間というのか時間というのか、その枠の中においては、そこに確かに実在しているんだ」というイメージだと考えています。
バカですから、言葉で言い表せない部分は「イメージ」でフォロー(笑)
では、「始まりと終わり」とは・・・
私のマラソンは、どこで始まりどこで終わるのでしょうか?
マラソンを意識して走り始めたあの日から始まったのでしょうか?
否
じゃあ、中学で陸上をやったあの日から?
それとも、野山を駆け巡っていた幼少のころから?
・・・
では同様に終わりはどこで定義するのでしょうか?
競技をやめたとき?
日常で走らなくなった時?
でも、それはいつか再開するかもしれない・・・ならばそこは終わりじゃない
つまりマラソンはどこからどこまでなのかわからない空虚なものなんだけど、能登和倉で走った自己ベストのマラソンはそこにあったし、サブスリー陥落の悔し涙を飲んだ能登和倉も確かにあったということです。
ならば、いつまで・どこまで走るのかなんて考えちゃうと、あるはずのない終わりを定義しようとしているような気もするし、そんなことしても意味がないこともわかっています。
加えて、目標設定も大事だけれど、それだけを目的にすると目標が達成できなかった場合に、その存在意義が否定されちゃう。
本当はそれも含めて「マラソンはそこにある」のにね。
でも、もともと空なるものだというのに、そこに実体を定義しようとするとおかしなことになっちゃう。
なんだかわけがわかんないね(笑)
結局、「マラソンとはなにか」なんていう実体ばかりを追いかけると、「見えないものが見えてきて、見えなきゃいけないものが見えなくなっちゃう」なんてことがあるのかもしれませんね。
本日のラン 12.65km 1時間04分32秒(JOG)
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無題
うふっ預言者(笑)
もやがかかったよw
分かったようで分かってないようで、分かった気になって、私って頭いいかも♪と自己満足気分だけを味わいました(笑)
結局のところ。多分全然理解してないけど、こういうお話は好きです。
物事を突き詰めて考えてる人はやっぱり真理を持ってて、それは何かの受け売りじゃなくて、自分の好きなものを表現するその人だけの言葉なんですよね。
そういうのはゾクゾクします←ここにもド変態が(笑)
ま、正直、私の低学歴の頭ではポポポポポカーンが大多数を占めてましたがねw
もやがかかったよw
分かったようで分かってないようで、分かった気になって、私って頭いいかも♪と自己満足気分だけを味わいました(笑)
結局のところ。多分全然理解してないけど、こういうお話は好きです。
物事を突き詰めて考えてる人はやっぱり真理を持ってて、それは何かの受け売りじゃなくて、自分の好きなものを表現するその人だけの言葉なんですよね。
そういうのはゾクゾクします←ここにもド変態が(笑)
ま、正直、私の低学歴の頭ではポポポポポカーンが大多数を占めてましたがねw
Re:無題
書いてる自分自身も、書いてるうちにどんどんもやが掛かかりました(笑)
最初漠然としたイメージを持って書いてたんですが、具体性を盛り込むとどんどんもやが(笑)
この「もやっ」とした感じが禅問答なの?
なんて感じで、こんな本旨とは関係ないところでワクワクしちゃいましたww←こういうところも変態の「への字」を感じるw
ま、結論としては「細かいところの心理を探すよりも、大局で物事を見つめたほうがいいよ」ってことで、「不変の定理を追い求めずに諸行無常の中で常に自然体で対応できる柔軟性が必要だ」ってことなんでしょうね。
100人が100人に心理があって、100通りの理解があって、正解なんだと思います。
ですから、みちさんなりの理解も
( `д´)b オッケー! です!
最初漠然としたイメージを持って書いてたんですが、具体性を盛り込むとどんどんもやが(笑)
この「もやっ」とした感じが禅問答なの?
なんて感じで、こんな本旨とは関係ないところでワクワクしちゃいましたww←こういうところも変態の「への字」を感じるw
ま、結論としては「細かいところの心理を探すよりも、大局で物事を見つめたほうがいいよ」ってことで、「不変の定理を追い求めずに諸行無常の中で常に自然体で対応できる柔軟性が必要だ」ってことなんでしょうね。
100人が100人に心理があって、100通りの理解があって、正解なんだと思います。
ですから、みちさんなりの理解も
( `д´)b オッケー! です!